2012年4月4日水曜日

一粒のライ麦が教えてくれること


平成24113日に行われた1月例会。公益社団法人米沢青年会議所の新春総会前の理事長挨拶で、メンバーに何を伝え話そうか、ギリギリまで迷っていました。1月の新春総会は、今年度の方向性を決める総会とともに、来賓をはじめとする皆さんに、理事長の所信表明をはじめとする新三役メンバーのお披露目の場でもあります。普段は着ることのない着物と袴。ちなみに、米沢市は袴の生産数が日本一だそうですね! それとあまりにも独特すぎる緊張感。着物の上からプレジデンシャルリースをまとわないと感じられないであろう緊張感がありました^_^;

そうした中で、新春総会前にメンバーに話そうと決めたのは、五木寛之の著書にもあるライ麦の話です。この話は、長崎で暮らしていた時に、長崎の地元の銀行・十八銀行が主催してくれた五木寛之講演会で、直接本人の講演で聞かせてもらい、とても感動した話でもあります。



五木寛之氏の本から抜粋してみます。

メリカのオハイオ州の大学で、こんな実験が行なわれたそうです。木でつくった小さな箱の中に土を入れ、そこに一粒のライ麦の種をまく。そして水を与えながら、数十日それを育てると、貧弱な一本の麦の苗が育ちます。そのあとで箱をこわし、土をきれいにふり落して、その貧弱なライ麦が芽を出し、その生命をささえていくために一体どれほどの根を土の中にひろげているかを物理的に計測するのです。
 
   目に見える根はすべてその長さを測り、見えない根毛もこまかく計量し、土の中にはりめぐらされた根や水分や、鉄分や、カリ分や、生命をささえる養分を必死で吸いあげながら一本のライ麦が育つために要する生存の努力を、数字として換算します。その結果、およそ信じがたいことですが、小さな木の箱に網の目のように伸びていたライ麦の根の総延長数は、じつに一万一千二百キロメートル(1万1200キロメートル)に達していたということでした。

風にそよぐ一本のライ麦が、その貧弱な生命をささえるために一万一千二百キロメートルの根を目に見えない土中に張りめぐらし、そこから必死で生命の糧を吸いあげつつ生きつづけているというのは、じつに感動的ではありませんか。このことを考えると、生きてこの世に存在するということは、一体どれほどの働き、どれほどの努力が必要であるかということを痛感せずにはいられません。ライ麦とくらべてその何百倍、何千倍もあるひとりの人間が、ただ誕生し生存していく、そのためだけにも、じつは目に見えない無限のいとなみがくり返されているのではないでしょうか。(略)

そのことを考えますと、どのように生きるかということよりも、ただ生きてこの世に存在しているということ自体が、すでに驚くべき価値ある行為であるように思えてくるのです。(角川文庫)

ライ麦畑
我々どもの公益社団法人米沢青年会議所は米沢市・川西町を拠点として活動しています。この一粒のライ麦に負けないぐらい、米沢青年会議所もこの肥沃な置賜の大地に深く根を下ろし、見えない土の中に根を張っていきたい。理事長を拝命し、この一年間を過ごすにあたり心からそう願っています。植物が土の中に根を張ることは「陰」の営みです。地上に育ち、花や実を形成するのは「陽」の営みであるといえます。「陰」の地道な働きがあってこそ「陽」となる実を結ぶことを、一粒のライ麦は教えてくれています。


五木氏はさらに続けます。
 たった1本の麦でも、その大変な命の営みの偉大さを思えばその麦に対してお前は出来が良くないとか、もう少し見ばえがよかったらいいのにとか言えたのもではありません。

 1日生きるだけでもものすごいことをしている。人は生きているだけで偉大なことだと思います。その人が貧しく無名で、生きがいがないように思えても、1日、1ヶ月、1年、もし30年も生きたとすれば、それだけでもものすごい重みがあるのです。

2012年 ライ麦がたわわに実りますように!

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