2012年12月30日日曜日

1万1200キロメートルを想う

今年も、残すところあと3日となりました。
 
今年度、理事長職を預からせていただきました公益社団法人米沢青年会議所も、あと3日で全ての日程が終了します。メンバーをはじめ、多くの皆さんに、ご支援ご助力いただきここまで来ることができました。

平成24113日に行われた1月例会

新春総会前の理事長挨拶でメンバーに話そうと決めたのは、五木寛之の著書にもあるライ麦の話でした。長崎で過ごしていた時に、地元の十八銀行が主催してくれた五木寛之講演会で聞かせてもらい、私自身とても感動した話でもあります。


五木寛之氏の本から抜粋してみます。

メリカのオハイオ州の大学で、こんな実験が行なわれたそうです。

木でつくった小さな箱の中に土を入れ、そこに一粒のライ麦の種をまく。そして水を与えながら、数十日それを育てると、貧弱な一本の麦の苗が育ちます。そのあとで箱をこわし、土をきれいにふり落して、その貧弱なライ麦が芽を出し、その生命をささえていくために一体どれほどの根を土の中にひろげているかを物理的に計測するのです。

目に見える根はすべてその長さを測り、見えない根毛もこまかく計量し、土の中にはりめぐらされた根や水分や、鉄分や、カリなど、生命をささえる養分を必死で吸いあげながら一本のライ麦が育つために要する生存の努力を、数字として換算します。

その結果、およそ信じがたいことですが、小さな木の箱に網の目のように伸びていたライ麦の根の総延長数は、じつに一万一千二百キロメートル(1万1200キロメートル)に達していたということでした。

風にそよぐ一本のライ麦が、その貧弱な生命をささえるために一万一千二百キロメートルの根を目に見えない土中に張りめぐらし、そこから必死で生命の糧を吸いあげつつ生きつづけているというのは、じつに感動的ではありませんか。このことを考えると、生きてこの世に存在するということは、一体どれほどの働き、どれほどの努力が必要であるかということを痛感せずにはいられません。ライ麦とくらべてその何百倍、何千倍もあるひとりの人間が、ただ誕生し生存していく、そのためだけにも、じつは目に見えない無限のいとなみがくり返されているのではないでしょうか。

そのことを考えますと、どのように生きるかということよりも、ただ生きてこの世に存在しているということ自体が、すでに驚くべき価値ある行為であるように思えてくるのです。   (角川文庫)

ライ麦

我々どもの公益社団法人米沢青年会議所は、米沢市・川西町を拠点として活動しています。
この一年間、様々な活動で大きく根を張ることができました。

それは表にはなかなか出てこない陰の”ちから”あってこそ!

米沢青年会議所もこの一粒のライ麦のように、肥沃な置賜の大地に深く深く根を下ろし、毎年実を結んでいって欲しい! 

心からそう願っています。

植物が土の中に根を張ることは「陰」の営みです。

地上に育ち、花や実を形成するのは「陽」の営みであるといえます。

「陰」の地道な働きがあってこそ「陽」となる実が結ばれることを、一粒のライ麦は教えてくれます。


それと似た言葉を今年耳にし、好きな言葉になりました。

”水を飲むとき、井戸を掘った人を忘れるな” 

吉村美栄子山形県知事が好きな言葉だそうです。 
いい言葉です。

五木氏はさらに続けます。

 たった1本の麦でも、その大変な命の営みの偉大さを思えば、その麦に対してお前は出来が良くないとか、もう少し見ばえがよかったらいいのに とか言えたものではありません。

1日生きるだけでも、ものすごいことをしている。
人は生きているだけで偉大なことだと思います。

その人が貧しく無名で、生きがいがないように思えても、1日、1ヶ月、1年、もし30年も生きたとすれば、それだけでもものすごい重みがあるのです、 と。



今年一年お世話になりました多くのみなさんに感謝します!


2012年以降も、たわわに実りますように!

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